「ねらいをどの程度に設定するかがよく分からない」
「年齢に合ってないって言われることがある」
「今月は子どもがすごく成長して、全員ねらいを達成した」
こんな風に思っている人たちは、残念ながら、ねらいを適切に設定することができていません。
「子どもがすごく成長したら、全員ねらいを達成することだってあるんじゃないの?」と思う方もいることでしょう。そう思う人たちは特に、ねらいについて、もう一度考えてみましょう。
この記事は、「ねらい」の意味と、適切な「ねらい」が、どのようなものなのかを、分かりやすい例で説明してあります。
ねらいとは、どういうものなのか、分かった上で設定しましょう。
適切な「ねらい」にするために、まずは「ねらい」の意味を確認する
幼稚園教育要領では、第2章の最初に、次のように書かれています。
第2章 ねらい及び内容この章に示すねらいは、幼稚園教育において育みたい資質・能力を幼児の生活する姿から捉えたものであり、内容は、ねらいを達成するために指導する事項である。
保育所保育指針には、次のように書かれています。
第2章 保育の内容
この章に示す「ねらい」は、第1章の1の⑵に示された保育の目標をより具体化したものであり、子どもが保育所において、安定した生活を送り、充実した活動ができるように、保育を通じて育みたい資質・能力を、子どもの生活する姿から捉えたものである。また、「内容」は、「ねらい」を達成するために、子どもの生活やその状況に応じて保育士等が適切に行う事項と、保育士等が援助して子どもが環境に関わって経験する事項を示したものである。
難しいので、すごく省略すると、
「こんな風に育ってほしいな、育てたいな」というのを、子どもの姿で表したのが「ねらい」です。週案の時には「1週間後にはこんな風に育ってほしいな」という姿を、月案のときには「1ヶ月後にはこうなってほしいな」という、現実的な姿を書きましょう。高すぎる理想を「ねらい」にすると、現実とかけ離れていてダメです。
「内容」は、「ねらい」を達成するためにって書いてあるでしょ。達成するべきでしょ。と気付いた方、教育要領や保育指針を、ちゃんと読んでいますね。ここが教育要領や保育指針の難しいところです。確かに、「内容」は「ねらい」を達成するために設定するものです。でも、これは「内容」を設定するときに考えることであって、「ねらい」を全員が達成しなければならないかというと、ちょっと違います。保育指針には、次のような記載があります。
「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」が到達すべき目標ではないことや、個別に取り出されて指導されるものではないことに十分留意する必要がある。
「ねらい」も、実は、到達すべき目標ではなくて、「ねらい」の方に向かって行こうという、方向目標です。運動会の例が、とても分かりやすいです。ゴールテープを切るのが「目標」、ゴールテープの方向に走って行くことが「ねらい」です。運動会の時に、ゴールテープを持っている保育士に向かって斜めに走る子どもの姿があります。大好きな先生のところまで一生懸命に走れば、ゴールテープを切らなかったとしてもOKですよね。この「方向目標」ということを頭に置いて「ねらい」を設定する必要があります。
幼稚園教育要領にも、保育所保育指針にも、「育みたい資質・能力」と書いてありますが、週案や月案の「ねらい」を考えるときには、特別に意識する必要はありません。年間の指導計画や、教育課程を考える時に意識するものだからです。年間の指導計画を参考にして月案を書き、月案を参考にして週案を書きますよね。それでOKです。詳しくは、「3つの柱」「5つの領域」「10の姿」と「ねらい」との関係を読んでください。
適切な「ねらい」を大人の例で考えてみよう
適切な「ねらい」というものは、どんなものなのか、大人の例で考えてみます。分かりやすくダイエットの話をしましょう。
達成しなくても大丈夫な「ねらい」
Aさんが「15キロやせる!」という「ねらい」でダイエットをしたとします。一生懸命に頑張って、3ヶ月で10キロやせました。でも、その頃から停滞期で、なかなか体重が落ちません。
そんなときに、思いがけず、前から好きだったBさんと付き合うことになりました。Bさんは「今のままが良い」と言っています。Aさんは、あと5キロやせないといけないでしょうか?別にやせなくても問題ないですよね。
このような場合は、達成しなくても大丈夫な「ねらい」です。もちろん、「一度決めたことは最後までやる」というのもOKです。大人の場合でも、実は、「ねらい」は「必ず達成しなくてはならないもの」ではないんです。辞書には次のように載っています。
「ねらい」というのは、そこまで到達しても良いですが、ねらうことそのものを表しています。保育指導案に、「目標」ではなくて「ねらい」という言葉を使ってあるのは、「ねらい」が「必ず達成しなければならないもの」ではないからです。「ねらい」の意味と「目標」の意味との違いがすぐに分からない人は、「ねらい」の意味と「目標」「目的」「めあて」との違い【保育では「ねらい」が特別です】を読んでみてください。
全員が達成するには無理がある「ねらい」
Aさんと仲が良いCさんは、Aさんの話を聞いて、自分もダイエットをすることにしました。でも、5キロくらい減ったところで、みんなに止められました。なぜなら、Cさんは最初から、ダイエットの必要がないくらいスリムだったのです。
「15キロやせる!」という「ねらい」は、全員に対して適切なものではありません。
「15キロが極端だから、3キロくらいだったら良いんじゃないの?」と思うかもしれませんが、15キロやせようと思っていたAさんにとっては、3キロだとちょっと少ないですよね。反対に、「少しくらいくらい増やしたほうが良いんじゃないの?」というほど細い人もいるはずです。
個人差があるから、全員が同じ「ねらい」を達成するのは難しいです。特に、数字が入ってしまうと、全員に適切な「ねらい」を設定するのは難しくなります。
それなら「健康的な体型になる」という「ねらい」はどうでしょうか。仮に、体重150キロくらいある人が、すごく努力をして、1年後に「健康的な体型」になったとしましょう。それって、健康的なやせ方でしょうか。努力はすごいと思いますが、やせ方としては相当無理をしていますよね。
このように、全員が一定期間で達成できる「ねらい」というのは、誰かにとって、相当無理をしなければならない「ねらい」です。それか、簡単すぎる「ねらい」です。ということで、「子どもがすごく育って、全員がねらいを達成した」というのは、不自然な話です。じゃあどうすれば、適切な「ねらい」を設定できるのでしょうか。
適切な「ねらい」は子どもが普通に過ごすといつかは達成できる
特別なものではない、普通の「ねらい」を考えれば良いです。
一人一人に寄り添うのが保育ですが、突出した誰かのレベルに合わせた「ねらい」にはしません。
週案であれば、1週間後にはクラスの大部分が「ねらい」で設定したような姿になるはずです。月案であれば、1ヶ月後にはクラスの大部分が「ねらい」で設定したような姿になるはずです。あくまでも「クラスの大部分」です。数人は、「ねらい」で設定した姿よりも、もっと育っているでしょう。数人は、「クラスの大部分」よりも数日~数週間、時には数ヶ月遅れて、「ねらい」で設定したような姿が見られるでしょう。
クラスにいる子ども達は、生まれ月が違います。もちろん、他にも個人差がいろいろとあります。他のみんなより育っている子どもに合わせてしまうと、他のみんなが辛いことになります。反対に、全員が達成できるような「ねらい」にすると、すでにその「ねらい」を達成している子どもがたくさんいることになります。ということで、子どもが普通に過ごすといつかは達成できる「ねらい」にすることをオススメします。
「ねらい」で設定した姿よりも、もっと育っていくような子ども達には、さらに先に進んでもらえば良いです。今週、または、今月には、「ねらい」のような姿にはならないんだろうな、という子ども達に対しては、個別に支援をしましょう。数週間、数ヶ月経ってから達成したとしても良いです。全員同じようにさせようとするから、無理が生じます。
まとめ
- 「ねらい」は達成するべき目標ではなくて、その方向に向かっていこうという方向目標
- 大人でも、「ねらい」を達成しなくても大丈夫な場合がある
- 大人でも、全員が達成するには無理な「ねらい」がある
- 無理なく全員が達成できるとすると、その「ねらい」は簡単すぎる
- 頑張って全員が達成できた「ねらい」は、誰かにとって過酷すぎる
ということを考えて、「ねらい」を適切に設定するには
子どもが普通に過ごすといつかは達成できる「ねらい」
を考えましょう。
その際、「ねらい」で設定した姿よりも、もっと育っていくような子ども達には、さらに先に進んでもらえば良いです。今週、または、今月には、「ねらい」のような姿にはならないんだろうな、という子ども達に対しては、個別に支援をしましょう。数週間、数ヶ月経ってから達成したとしても良いです。
みんなに同じことをさせようとすると、子ども達の誰かが無理をしていることになります。それは平等とは言えません。一人一人に寄り添った保育をしましょうね。
「保育指導案の書き方をもっと詳しく教えてよ」という人は、「保育塾ベーシック」についての詳しい内容を読んでみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
「もっといろいろと知りたい」という方は、